「詩人・版画家」から「超未来型安心保証・安全保障」への道
1956年 詩:「白いカラス」
私が『星座「烏座」の烏が星座「海蛇座」の背中に在り、「海蛇座」の海蛇に食べられてしまった。』のではなく、多神教時代のローマ神話に基づいた状態を保存、現在の一神教「ユダヤ教キリスト教イスラム教の中でも生き延びて居るのかを、《白いカラス》との題名で書いた事から、1956年(16歳)当時、日本の「詩学」「現代詩手帳」で表彰された事から、天文学に興味を持ち、其の後の私の人生は、圧倒的多数の人が【誰一人も気付かなかった】様々な知見を右脳左脳に多数持つ事に成りました。
1968年4月
例年通り、当時上野美術館国画会版画部の出品に併せて、東京銀座・養清堂画廊の個展会期中に、三笠会館でSONY式典を終えたソニーの盛田昭夫氏が「同郷の方が版画展をやってらっしゃる!」と付き人4,5名で画廊2回会場に上がって来てくれた。その時に銅版画家で東京芸大教授の駒井哲郎氏との話題で書いた「色付の説明メモ書き」を壁にピンで留めてあったものを見つけられ、「絵も好きですが、そのメモ書きコピーさせてもらえません?」といわれたので、承諾した。それが縁となり、ビデオアートへの期待をかけられ、盛田氏の配慮で、名古屋のソニー支店でビデオアートの創作の為にと設備を使う機会を与えられた。それが、「音の版画」へと進んでいくことになる。
1974年
フランスとドイツの美術愛好家の紹介でB.B.マンデルブロ博士に会った(以後20回ほど会う)事が、彼の「古典的フラクタル」から、私独自の「複素力学系フラクタル」への道を開いた。それをまた更なる改良を重ね幾つかの「フラクタルアート」に拡大した物を元々NASAの技術幹部だった「K氏」が注目された。フラクタル暗号・カオス暗号への途が開いた。しかし、「K氏」がNASAからNSAに移動して米国の国防にも暗号の話は拡大していった。余りの巨大なビジネスの話になり、私一人の力では対応できない大きさに成って居た。
1978年3月
名古屋市芸術奨励賞と同年4月名古屋市博物館市民ギャラリー「名古屋市芸術賞記念展」を開催(この記念展の準備段階をテレビ愛知取材によるビデオ「ある版画家の詩(うた)」をYouTubeに限定公開で登録済、他にも音の版画①「狂おしい夜」、音の版画②「星降る夜」もYouTubeに限定公開で登録済)その頃、オランダのレコード会社「フィリップス」が名乗りを上げてくれましたが、9.11当時の状況を軽々しく喋りまくる処が知的財産権に危険を感じ、距離を置きました。この頃にアルゴリズムアートのビデオを膨大な量制作しています。
フラクタル画像をテキスタイル応用で1985年からフランスのアンドレ・マルロー氏との縁でカルダン、ディオールに提供。日本では、染色整理の大手「セイレン」「小松セイレン」「東海染工」「島精機」という縁から著作権を特許で守る事が必要になった為、日本・米国・欧州特許連合・シンガポール・韓国など広く特許を申請する事になりました。しかし、余りにも広がりすぎて、費用が重圧になってしまいました。
今では、SNSで「情報解析可視化処理技術」開発者、情報セキュリティー「国際特許ITSS」システムの発明者・公的援用提唱者、真実を伝え過ぎる『「ふくいち」を裁く』の「筆者」として通って来ました。 これが、日本の大企業で嫌われて居るようですが、私は飽く迄、証拠に基づいて書いて居ます。『平和と豊かな社会の具現化の為に!』と、フェイスブックとツイッター(現・X)に参加、今年は17年目です。
インターネットでは、「ソーシャルメディアインフルエンサー」と評価されて居ます。
中国が開発に力を注いでいる量子暗号は、もしかしたら私の発明特許に抵触するのでは?少なくとも中国の「5G」に「アドビの対応」が苦しくなって、MicrosoftとAppleとが突然握手なんて具合になってきた状況を考えると、私の「量子」アルゴリズムが1985年以前からの世界の様々な産学官を揺るがすかも、と思って居る。
あくまでもアルゴリズムアートの、私の独自演算に拠るノウハウの此の部分の特許権のみを今後の課題として(時世代に引き継がれるまで)手許に残そうと考えています。又、私が数年前まで国際特許として維持して居た【「安心保証」と「安全保障」とを「時空間不可分」に達成できる知見に、【新たに数理工学的に会得した未公開知見を追加出願】し、平和を持続させ、究極の情報セキュリティーを地球全体に被せられないか、NY市長がサンダース氏の頑張りで、NYタイムズも変わった事に期待して居ます。 (2026/01/26) 作品画像入り「先ず詩人」より抜粋